【見栄を捨てたら、人生が軽くなった】「悪く見られたくない」を卒業して気づいた、本当に心地よい暮らしの正体

FIRE

どうも!サイドFIRE生活2年目、見栄という鎧を脱ぎ捨てて身軽になった主夫です。

世の中には「人からどう見られるか」を気にして、無理をして高級な服を着たり、見栄えの良い車に乗ったりする人がたくさんいます。かつての僕も、会社員時代は「休日、会社の人に会ったときに恥ずかしくない格好をしなきゃ」なんて、意識のどこかで「世間体」を気にしていました。

でも最近、その感覚が嘘のように消え失せました。なぜなら、自分を「良く見せる」必要がなくなったからです。

「良く見られたい」より「悪く見られたくない」
勘違いしないでほしいのですが、僕は世間を完全に無視しているわけではありません。最低限の身だしなみや、人として失礼のない振る舞い——つまり「悪く見られないこと」は大切だと思っています。

けれど、「他人より良く見せたい」「羨ましがられたい」という欲求は、最近ほとんどなくなりました。

例えば、車選び。世間では高級車に乗ることがステータスになりがちですが、僕にとって車はあくまで「効率よく移動できる箱」です。もちろん走ることは好きですが、高級車である必要はゼロ。面白くて、自分の感性に響く車であればそれでいい。人から「いい車ですね」と言われたい欲求よりも、「自分のお気に入り」を乗りこなす満足感の方が、圧倒的に心地よいんです。

「価値観が似ている」という最強の相性
この感覚を維持できているのは、運よく奥さんの価値観が僕と一致していたから、というのも大きいです。

妻は「しまむら」のような賢い買い物が大好きで、ミニマルで丁寧な暮らしを愛する人。もし結婚相手が「人に見せるための散財」を好む浪費家だったら、今の僕の生活は成り立っていなかったかもしれません。
趣味嗜好や、お金に対する感覚が似ている人と家族になれたこと。これは、僕の人生における最大の幸運であり、資産形成における最強のパートナーシップだと言えます。

比較をやめると、自分が見えてくる
サイドFIREしてから気づいたのは、「自分はもともと、身の丈に合った心地よい生活を好む性格だったんだな」ということ。

誰かと比較して無理に背伸びをしたり、見栄のために余計な出費をしたりしなくていい。自分の感性に従って、本当に好きなものにだけお金を使う。このシンプルな生き方は、組織の中にいた頃よりもずっと、僕を自由にしてくれました。

「何を買うか」は「どんな人生を歩みたいか」の投影です。
高級品を買うこと自体を否定はしませんが、それがもし「人に見せるため」の購入なら、一度立ち止まってみてください。見栄を捨てた先に残るものこそが、あなたの人生を真に豊かにする「自分だけの価値観」かもしれません。

今日も僕は、自分にとって最高に心地よい「お気に入りの箱」に乗って、家族の待つ家へと向かいます。人からの評価を気にせず、自分の好きを追求する。これ以上の贅沢って、案外ないものですよ。

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