どうも、サイドFIRE生活2年目の主夫です。
今日は、これまで自分自身も問い続けてきた「幸せの定義」について、少し深い話をしようと思います。
読者の方から頂いた質問で、僕が今の暮らしになってから最も変わったことの一つです。
Q9. 「FIREする前と後で、一番『幸せの定義』が変わったな、と思う出来事はなんですか?」
結論から言えば、「何かを消費することで満たされる幸せ」から、「自分で自分の時間を主導する幸せ」へと、定義が根本から書き換わりました。
振り返れば振り返るほど、かつての自分が「いかに歪んだ設計図の中で生きていたか」を痛感します。
1. 「ご褒美」という名の逃避行を繰り返していた日々
今の僕が、かつての自分を客観的に見るとこう見えます。
「毎日が辛くて、きつくて当たり前。その苦行に耐え抜いたからこそ、たまの週末に飲むお酒や、高いお金を払って行く旅行が『ご褒美』になる」
当時の僕は、これが世の中の「当たり前」だと思っていました。多くの同世代のビジネスパーソンが、同じように擦り減りながら、息をつく暇を探して生きている。
それが正常な環境だと思い込んでいたけれど、一旦その外側に身を置いてみて気づきました。
「そもそも、毎日が辛くて当たり前、という設計図自体がおかしいんじゃないか?」
会社に行かなきゃいけない、この時間には帰らなきゃいけない、休日は家族の予定に追われる……。生活全体が「他者やタスク」に振り回されていて、自分自身にフォーカスが当たる時間が、驚くほど少なかった。
あの頃、僕が感じていた「幸せ」は、過酷な毎日から逃避するための、刹那的な「消費」でしかなかったのだと思います。
2. 「じんわりとした幸せ」は、自分で選べる余裕から生まれる
今の暮らしを始めて、幸せの定義は「自分らしく生きているか」「生活を選択できているか」に変わりました。
例えば、今僕はボディメイクを頑張っていますが、以前なら「仕事のストレスでドカ食いして、疲れて寝て終わり」だったはずです。でも今は、自分の体のこと、トレーニングのことをじっくり考える時間が、生活のど真ん中にあります。
何時までに会社に行かなきゃいけない、という強制力から解放され、「自分の人生の主導権は、間違いなく自分にある」と実感できること。
これこそが、僕が今の生活で得た、何にも代えがたい「じんわりとした幸せ」の正体です。
3. お金を使わなくても、心はもっと満たされる
さらに面白い発見もありました。
不思議なことに、自分で時間を選べるようになると、「お金を払って何かを消費したい」という強烈な欲求が激減したんです。
かつては時間ができると「あれが欲しい」「あそこへ行きたい」「このお金を払ってこの体験を買いたい」と、消費することに一生懸命でした。思えば、あの頃のお金のかかる旅行や買い物は、すべて「本来の自分を取り戻すための、高いコストを払った治療」だったのかもしれません。
今の暮らしになって、妻からも「なんだか、以前より欲望が減ったよね」と指摘されたことがあります。
自分を削るような働き方をやめて、ニュートラルで自然体な自分に戻れたからこそ、あえて何かを強く欲したり、無理をして刺激を求めたりする必要がなくなった。
「本来の自分に還る」ことにお金はかかりません。
やりたいことに向き合い、時間をかけ、静かに自分と対話する。そうやって丁寧に暮らすことのコストは、驚くほど低いのです。
結論:自分の人生を、自分の手で選び抜くこと
もし今、あなたが毎日を「辛い日々に耐えるための休息時間」として設計しているのなら、一度だけ立ち止まって考えてみてほしいんです。
「その設計図、本当に自分が望んでいるものですか?」
お金を使い、何かを消費することでしか得られない幸せは、とても脆いものです。
僕らが本当に手に入れるべきは、「自分の時間を自分で決定し、自分のやりたいことにフォーカスできる」という選択権の方ではないでしょうか。
自分らしい生活を選択できること。
今日一日を、何に使うかを自分で決められること。
そんな当たり前だけど贅沢な日々を、これからも淡々と、守り抜いていきたい。そう思っています。


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