食洗機と水風呂。――「もっと」を求める自分を、サウナで脱ぎ捨てた夜

FIRE

「なんで、これくらいやってくれないんだろう」

夕食後、リビングに家族の笑い声が響く中、一人キッチンに立つ僕の心は、少しだけトゲトゲしていました。

僕は食器洗いが苦手です。だからこそ、家事担当として「いかに食器洗いを避けるか」に全力を注いでいます。料理をしながら並行して調理器具を片付け、食卓に並ぶ頃には流し台を空にする。食べ終わった食器も、各自がサッと水で流して食洗機に突っ込んでくれれば、僕の「一番やりたくない仕事」は消滅するはずでした。

何度も家族にお願いし、みんなも分かってくれている。それなのに、ふと流しを見ると、そこには水に浸かったままの食器が置かれている。

ほんの些細なこと。でも、家事を完璧に回そうとすればするほど、その「小さなズレ」が、自分の努力を軽んじられているような重いモヤモヤに変わっていったのです。

1. 飲み込んだ言葉と、サウナへの逃避
その夜、ついにメンタルが限界を迎えそうになりました。口から尖った言葉が出そうになった瞬間、僕はそれをグッと飲み込み、着替えを持ってサウナへと向かいました。

平日の夜。熱い蒸気の中に座り、じわじわと汗が噴き出してくるのを感じながら、僕はさっきまでの自分を客観的に眺めていました。

サウナの良いところは、物理的に「熱さ」以外を考えられなくなることです。思考が強制終了され、余計なプライドや「正論」が汗と一緒に流れ出していく。水風呂に入り、外気浴で夜風に吹かれていると、不意に、ある記憶が蘇ってきました。

2. 数年前の自分との「再会」
それは、今のような生活(サイドFIRE)を手に入れる前、仕事に殺されそうになっていた数年前の僕の姿です。

当時は、家族と一緒に晩御飯を食べるなんて、一週間に一度あるかないかの贅沢でした。食器洗いのルールにイライラするどころか、子供たちが何を食べて、どんな顔をして笑っているのかさえ、満足に知る余裕もなかった。

今の僕があるのは、あの頃の自分が必死に働いて、今の自由を勝ち取ってくれたからです。

「あの時の自分から見たら、今の悩みはなんて贅沢なんだろう」

サウナのベンチでそう思った瞬間、心に刺さっていたトゲが、スッと消えていくのが分かりました。

3. 「足るを知る」という、最強の家事ハック
冷静になって考えれば、僕が子供の頃に親の求める完璧な片付けができていたかといえば、絶対にできていませんでした。そんな子供相手に「完璧なルール」を求めるのは、少し酷だったのかもしれません。

他人を変えるのは難しい。けれど、自分の捉え方を変えるのは一瞬です。

「食洗機に入れられないなら、後で僕がやればいいだけだ。どうしても気になるなら、明日の朝、10分だけ早く起きれば済む話じゃないか」

そう思えたら、あんなに重かったモヤモヤが、拍子抜けするほど軽くなりました。

人間は欲深い生き物です。今の生活が手に入れば、もっと楽をしたい、もっと効率を上げたいと「上」ばかり見てしまう。それが成長に繋がることもありますが、時として「今ある幸せ」を見えなくさせてしまいます。

4. 比較すべきは「外」ではなく「過去」
今の僕に必要なのは、隣の家の完璧な家事でも、理想の効率化でもなく、「過去の自分」と比較することでした。

家族と食卓を囲めること。
子供たちが元気よく食べて、そこに食器が残っていること。
そんな当たり前の光景が、数年前の僕にとっては喉から手が出るほど欲しかった「冒険のゴール」だったはず。

「足るを知る(吾唯足知)」。
この言葉の本当の意味を、僕はサウナの脱衣所で、乾いたバスタオルを手にしながら噛み締めていました。

おわりに
家に帰ると、キッチンには相変わらず少しの食器が残っていました。
でも、不思議とイライラはしませんでした。むしろ、健やかに眠る子供たちの寝顔を見て、「今日もよく食べてくれたな」と、少しだけ優しい気持ちになれました。

明日からは、もっと子供を可愛がる目線でいたい。
効率や正しさよりも、この家にある穏やかな空気こそを守っていきたい。

そんな風に思えるようになったのは、サウナが僕の「正論」を綺麗に洗い流してくれたおかげかもしれません。

家事は、明日も続きます。
でも、明日の僕は、昨日よりも少しだけ「ととのった」心で、キッチンに立てそうです。

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