死を「空気」のように受け入れた先に。サイドFIRE2年目、私が選ぶ「静かな幸福」への道

FIRE

30代でサイドFIREし、主夫として家事や育児に専念する生活も2年が経ちました。平日は家族や限られた仕事仲間とだけ接する、静かな毎日です。

そんな日々の中で、私は最近「死ぬこと」について、これまでになく本気で向き合っていました。「死はなぜ怖いのか」という、誰しもが一度は抱く根源的な問いです。

そこで得た一つの気づき、そしてそこから芽生えた「新しい自己効力感」への決意について、ここに記しておきたいと思います。

死は恐怖ではなく「空気」のようなもの
死が怖いのは、死ぬ瞬間そのものに痛みがあるからではありません。死んだ後は感覚そのものが消えるのですから。本当の恐怖は、「ゆっくりと死に向かっていくプロセス」を自覚させられ、それを考え続けてしまうことにあります。

もし、80歳まで健康に過ごし、ある瞬間、0.5秒ほどの間にパンと弾けるように消えるなら、恐怖を感じる隙すらありません。そう考えたとき、ふと気づいたのです。死はかわすことも拒否することもできない、今この瞬間も自分の隣に当たり前に存在する「空気」のようなものなのだと。

この事実に気づけたとき、長く解けなかった難問が解けたような、不思議なスッキリ感に包まれました。無理に抗う必要はない。隣にあるものとして受け入れたとき、私の心は驚くほど静かになり、執着から解放されたような感覚を覚えました。

何かが吹っ切れたような、気持ちが軽くなった感覚。この「悟り」に近い気づきが、私の目の前をパッとクリアにしてくれました。

「じんわり広がる幸福」を求めて
心が静かになったとき、次に見えてきたのは「自分自身の幸福」をどう追求するかというテーマでした。

私が求める幸福は、突き抜けるような快感ではありません。もっと穏やかで、じんわりと心に広がるような優しい気持ちです。サイドFIRE前の、競争し高め合う「ギラギラした毎日」や、誰かが傷つくことを許容しなければならない組織の重荷からは、もう距離を置きたい。自分や、自分の周りの人が健やかであること。それを何より大切にしたい。

そう考えたとき、私の自己効力感(自分には何かを成し遂げる力があるという実感)を呼び起こすのは、やはり**「人に何かをもたらし、その人が喜んでくれること」**でした。

今、私の内側には、かつてないほどのポジティブな行動意欲が湧いています。

具体的な2つのアクション
1. 「マイナスをゼロへ」——整体師への道
一つ目は、整体師として人の体を整えることです。 先日、江戸川区にある「岡野整体」さんで腰の痛みを劇的に改善してもらう経験をしました。辛い痛みから救われることが、どれほど大きな感謝に繋がるかを肌で感じ、「自分もこういうことができたら」と素直に思いました。

マイナスの状態にある人を、0(フラット)に戻してあげる。その過程で直接、人の喜ぶ顔が見られる仕事は、私の求める「静かで穏やかな実感」に合致しています。

資格と準備: 整体師として開業するのに必須の国家資格はありませんが、民間資格や手技の習得が必要です。まずは「岡野整体」さんのような形態を目指し、必要な技術や学習期間(半年〜1年程度)を精査することから始めます。

2. 「自己表現を形にする」——音楽制作への道
もう一つは、全く未経験の領域である音楽活動です。 これまで歌を歌う程度で、音を作る経験はありません。しかし、だからこそ今、チャレンジしたい。音楽を通じて自己を表現し、それを評価してもらうことは、整体とはまた違う「心の震える喜び」に繋がるはずです。

準備: パソコン一台で完結できるDTM(デスクトップミュージック)の世界へ飛び込みます。まずはDAW(制作ソフト)の選定や、基礎的な打ち込み、楽曲制作のステップを一つずつ学んでいきます。

結びに:今、この瞬間から歩き出す
死が逃れられない空気のような存在であると認めたとき、皮肉にも「どう生きるか」がかつてないほど鮮明になりました。怖がっている時間はもったいない。自分が一番「心地よい」と感じる場所で、じんわりとした幸福を追求していこうと思います。

整体で身近な人を救う静かな実感を得ること。 音楽で未知の自分を表現し、誰かに届けること。

一見、対照的な二つの道ですが、私の中では一つの「生」として繋がっています。どちらが正解かではなく、今の自分に合うものを、まずはこの2つから全力で取り掛かってみようと思います。

手探りだった生活に、確かな光が差し込んだような。そんな清々しい気持ちで、新しい一歩を踏み出します。

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