FIRE後の暮らしの中で、久しぶりに心が大きく揺さぶられた日がありました。
それは、子どもの保育園の運動会。
晴れた秋空の下、かけっこや綱引き、親子競技、そして組体操とリレー。
一つひとつの競技に、子どもたちが本気で取り組む姿がありました。
普段とは違う“背伸びする姿”に驚く
家ではおふざけが多く、なかなか話を聞かない子ども。
それが保育園では、先生の指示にまっすぐ応え、
少し背伸びをして頑張る姿を見せていました。
その一生懸命さに、思わず胸が熱くなりました。
組体操で見せたまっすぐな姿勢
中でも印象的だったのが組体操。
全員が真剣な表情でピシッと姿勢を保ち、
一人ひとりが仲間を支え合いながら形を作っていく。
その姿に「ここまで練習を重ねてきたんだな」と感じ、
子どもたちの成長と努力の積み重ねを強く実感しました。
そして演技の最後、退場のとき。
整列したまま園庭を一周走り抜ける中で、
自分の目の前を通る瞬間、満面の笑顔で手を振ってくれた。
その笑顔に、なぜか胸の奥から込み上げてくるものがありました。
撮影していた手が震えるほどの感情。必死に涙をこらえながら、
「よくここまで頑張ったな」と心の中で呟いていました。
リレーのラストで流した“悔し涙”
最終種目のリレーでは、子どもがアンカーを任されていました。
懸命に走り抜ける姿。その背中はもう、幼い子どもというよりも一人の“挑戦者”でした。
ゴール直前、あと少しのところで抜けず、惜しくも2位。
レース後、顔を伏せて大粒の涙を流す姿を見た瞬間、
こちらの胸もぎゅっと締めつけられるようでした。
先生方が優しく声をかけてくださる中で、
「本気で頑張ったからこその涙」だと感じました。
努力が報われなかった悔しさと、限界まで走り切った誇り。
あの瞬間、確かに子どもは一つ大きくなっていました。
FIRE後に気づいた“時間の価値”
以前の自分なら、この光景をここまで心で受け止められなかったかもしれません。
FIRE後に時間の使い方が変わり、家族と過ごす時間が増えた。
朝ごはんの味噌汁の具を一緒に決めたり、
お風呂を競争したり、寝るときに「パパの隣がいい」と言われて笑ったり――
そうした小さな日常が、親子の距離を確実に近づけてくれていました。
だからこそ、運動会で見た子どもの努力や涙に、
心から共鳴できたのだと思います。
それは単なる親としての感動ではなく、「一緒に生きている実感」でした。
大人になっても“涙できるほど夢中になれること”を
子どもの姿を見ながら、自分自身に問いかけました。
大人になってから、こんなにも本気で何かに打ち込んで、涙できる瞬間があっただろうか?
社会人になってからは、効率や結果を優先してしまい、
心が動くほどの情熱を持てることが減っていたように思います。
だからこそ、子どもが一生懸命に走り、泣き、笑う姿に、
もう一度自分も「夢中になれる何かを見つけたい」と素直に思いました。
あの日の運動会は、子どもの成長だけでなく、
自分の心の成長を感じる日でもありました。
“お金では買えない時間”こそが人生の財産
FIRE後に得たものは、資産の余裕よりも、心の余裕でした。
お金では買えない、家族と共に過ごす時間。
その中で感じた感動や、胸に残る小さな涙こそが、
人生における最も確かな“リターン”なのかもしれません。
「本当に頑張ったね。お疲れ様。かっこよかったよ。」
その言葉に、すべての想いを込めました。
そして、自分の心にも同じように言いたい。
“生きることに、もう一度感動できた”――そんな一日でした。


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