先日、久しぶりに「嫌な夢」を見た。
内容は、新卒で入社した金融機関での出来事。心ない言葉、人格を否定するような叱責、理不尽な指導。もう10年以上前の話なのに、その瞬間だけ切り取られたみたいに、鮮明に蘇ってきた。
目が覚めた瞬間、胸のあたりがずしんと重くて、「まだここから抜けきれていなかったのか」と正直ショックだった。同時に、今の生活とのギャップに気づいて、強く「FIREしてよかった」と感じた夜でもあった。
あの頃は「辞めたら負け」だと思っていた
自分は新卒で金融機関に入り、10年以上勤務したあと、2020年に転職。その後、次の職場で約5年働き、今はサイドFIREという形で生活している。
新卒時代の職場には、どうしても忘れられない人がいる。必要以上に怒鳴る、人前で恥をかかせる、業務と関係ない部分まで踏み込んでくる。ストレスで体を壊しながらも、「ここで辞めたら負けだ」「耐えて結果を出さないと意味がない」と思い込んで、暗い気持ちで毎日を過ごしていた。
その後、その人は異動で職場を離れ、自分も少しずつ評価され、昇進も経験した。「あの時代も通過点だった」と、どこかで整理できたつもりでいた。
時間が経っても「無かったこと」にはならない
それでも、夢に見るということは、心のどこかにまだ刺さったままなのだと思う。どれだけ時間が経っても、新しい楽しい出来事を重ねても、「なかったこと」にはできない。
ただ最近は、「それでいい」とも感じている。
なぜなら、あの経験があったからこそ、はっきりと言えることがあるからだ。
- どんな事情があっても、他人を傷つけていい理由にはならない。
- 「自分も昔やられたから」と同じことを繰り返してしまう大人にはなりたくない。
少なくとも自分は、同じ土俵には立たない。そう心に決めて生きている。それは、過去を完全に消し去るのではなく、「もう同じことをしない」と誓うことで、意味を変えていく作業なのかもしれない。
FIREという選択肢がくれた「距離」と「余白」
夢から覚めて最初に湧いた感情は、どす黒い怒りや悔しさだった。でも、その次に来たのは、静かな安堵感だった。
「あの働き方を、もうしていない」
「自分で選んだ生活の中に、今立っている」
そう思えた瞬間に、ふっと肩の力が抜けた。
FIREしたから人生がバラ色になったわけではない。家計管理も自己管理も必要だし、刺激が減る不安もある。それでも、少なくともあの頃のように、心と体をすり減らして「辞めたら負けだ」と自分を追い詰めている状態ではない。
嫌なことが減った分、感情のアップダウンも以前より小さくなった気がして、「刺激が減ったな」と思う瞬間もあった。でも、今回の夢で改めて気づいた。
「穏やかであること」は当たり前じゃない。あの頃の自分が喉から手が出るほど欲しかったものだ。
過去は消せない。でも、今の選択で塗り替えられる
たぶん、過去の嫌な経験はこの先も完全には消えない。ふとした瞬間に思い出したり、夢に出てきたりすることもあると思う。
それでも今は、「あの経験があったから、今こういう選択ができた」と言える。耐えたから偉いのではなく、「おかしいものはおかしい」と感じる感覚を持てたこと。そして、その延長線上で、自分と家族を守るための生き方を選べたこと。
FIREは、誰にとっても正解ではないかもしれないし、リスクもある。それでも、自分にとっては、過去との距離を取り直し、「これからどう生きるか」を主体的に選び直すきっかけになった。
あの頃の自分には、「よくここまで来たね」と伝えたいし、今そこと戦っている誰かには、「逃げることや環境を変えることも、立派な選択肢だよ」と伝えたい。
最後に
嫌な夢のおかげで、改めて今の生活のありがたさを噛みしめる夜になった。
FIREはゴールではなく、「もう少し自分と家族を大事にできる生き方」を選ぶためのスタートラインのひとつ。過去を消すことはできないけれど、これから積み重ねる日々で、少しずつ上書きしていくことはできる。
そのために今日も、静かで、ささやかで、でも自分で選んだ日常を大切にしていきたい。


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