1. 静寂の午後1時、椅子に座るという「儀式」
パート先での仕事を終え、自宅に戻る。手早く昼食を済ませて一息つくと、時計の針は13時を回っています。
家族が帰宅するまでの、残り数時間。
この静かな家の中で、僕は吸い込まれるようにいつもの椅子に座ります。
サイドFIREという生き方を選んで2年目。30代も後半に差し掛かり、人生の折り返し地点を意識し始めた今。
世間の同世代が社会の第一線で慌ただしく働いているこの時間に、僕はひとり、自宅のデスクでパソコンを開きます。
「よし、今日は何か自分らしいもの、作れるかな」
そんな軽い独り言とともに。
誰に強制されたわけでもなく、納期に追われているわけでもない。
それでも、僕は儀式のようにいつもの椅子に座ります。
かつて組織の一員として働いていた頃の僕は、外部からの圧力や「締め切り」という恐怖によってスイッチを入れていました。しかし、自由な時間軸を手に入れた今、僕を動かすのは外側からの義務感ではなく、もっと静かで、それでいて確かな「自分という人間への興味」なのです。
2. 意志の力に頼らない「自分専用のシステム」
よく「自由な時間ができたら、ダラダラしてしまいませんか?」と聞かれることがあります。
正直に言いましょう。ダラダラします。
必要に迫られていない、今日やらなくても生活が破綻するわけではない。そんな環境下で、毎日高いモチベーションを維持し続けるのは至難の業です。
だからこそ、僕は「やる気」という不確かな感情に頼るのをやめました。
帰宅し、食事をとり、パソコンの前に座る。
この一連の流れを、生活の一部として自分の中にシステム化しました。
「やらないと、なんだか気持ち悪い」
そう思えるまで習慣を削ぎ落としたとき、椅子に座るまでの心理的ハードルは消えてなくなりました。一度座ってしまえば、あとは手が自然に動きます。
この「自分をシステムとして管理する」という感覚は、レールから降りて自由を手に入れた人間が、自分を見失わないために最初に身につけるべき、最も重要なスキルなのかもしれません。
3. ブログが教えてくれた「未開の自分」というフロンティア
この午後の時間を使って、僕は日々ブログを更新し、自分の考えを言語化しています。
当初、ブログを始めた目的は「情報の整理」や「小さな収益」でした。しかし、継続していくうちに、それ以上に大きな「副産物」があることに気づきました。
それは、**「自分という人間への深い理解」**です。
キーボードを叩き、思考を文章という形に整えていく過程で、僕は驚くべき体験を何度もしています。
「ああ、自分ってこんな風に考えていたんだ」
「言葉にしてみたら、実はこんなことにこだわっていたんだな」
それは、自分自身のことなのに、今まで全く知らなかった新しい発見でした。
頭の中でぼんやりと考えているだけでは、思考は霧のように消えてしまいます。しかし、それを無理にでも「言葉」という枠に当てはめて外に出した瞬間、そこには客観的な「自分」が姿を現します。
30数年連れ添ってきた自分を分かっているつもりで、実は一番分かっていなかった。
その事実に気づいたとき、僕は心地よい敗北感とともに、自分という存在がまだ見ぬフロンティア(未開の地)のように思えてワクワクしたのです。
4. 「書きたいから書く」――自己理解という航海
最近、あるきっかけで「書くことは自己理解のツールである」という考え方に深く触れる機会がありました。
「やりたいからやる。書きたいから書く」
そのシンプルで力強い言葉は、今の僕がブログを通じて感じていた手応えと、見事なまでにリンクしました。
サイドFIREしてからの1年半、僕は数多くの「種まき」をしてきました。
クリエイティブな制作活動や、動画編集への挑戦、クラウドワークスでの案件受注……。
どれも必死に取り組みましたが、正直に言えば、まだ「これこそが僕の生涯をかけた天職だ」と胸を張って言えるものには出会えていません。
「自分は何に興味があり、何なら苦もなく続けられ、どうすれば人の役に立てるのか?」
その答えを探して、僕は今日も自問自答を繰り返しています。
でも、今の僕はその「迷い」すらも楽しんでいます。
ブログを書くことは、暗闇の中で自分という存在を照らす「懐中電灯」のようなものです。少しずつ言葉を積み重ねることで、自分の興味の輪郭がはっきりとし、進むべき方向がうっすらと見えてくる。
この「書くことによる自己理解」のプロセスこそが、今の僕にとって最大のエンターテインメントなのです。
5. 10年後の自分へ、そして家族へ贈る「本当の資産」
このブログに綴っている内容は、僕自身の極めて個人的な思考の記録です。
時には、誰にも言えないような細かい悩みや、泥臭い葛藤も含まれています。
なぜ、そこまでして自分をさらけ出し、書き続けるのか。
それは、10年後の自分や、いつか成人を迎える子供たちに、僕の「生きる姿勢」を残しておきたいからです。
「お父さんはこの時期、こんな風に悩みながら、でも自分の足で立とうと必死に自分を探していたんだよ」
その背中を、言葉を通じて見せたい。
形のあるお金や資産も大切ですが、迷いながらも自分を再発明し続けようとした「思考のプロセス」こそが、僕が家族に贈れる本当の意味での資産ではないか。そう信じています。
結びに:未完成の地図を持って
僕のサイドFIRE生活は、まだ中盤に差し掛かったばかりです。
完成された成功法則もなければ、輝かしい実績もまだありません。
持っているのは、書きかけのブログと、未完成の自分という地図だけです。
けれど、毎日13時に椅子に座り、パソコンを開くたび、僕は昨日よりも少しだけ自分に詳しくなっています。
自分という一番身近な他人に会いに行く、この静かな午後の冒険。
もし、あなたが今、「自分の進むべき道が分からない」と立ち止まっているのなら、ぜひ一度、自分の内側にある言葉を外に出してみてください。
立派な文章である必要はありません。
ただ「書く」という行為が、あなた自身の新しい一面を照らし出し、人生を再発明するきっかけをくれるはずです。
僕も明日、また午後1時の椅子に座ります。
新しい自分に出会えることを、少しだけ期待しながら。

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