「優越感」はもう卒業した。サイドFIRE2年目の僕が、平日のカフェで考えていること。

FIRE

どうも、30代の家事担当パパです。

サイドFIREに憧れる人の話を聞くと、よく「平日の昼間から、忙しそうに働く人を見下ろして優越感に浸りたい」なんて言葉を耳にします。正直に白状すれば、僕もこの生活を始めて1年目くらいまでは、そんな「ちょっと嫌な自分」が顔を出すこともありました。

でも、2年目を迎えた今の僕は、全く違う景色の中にいます。

1. 「美術館の絵画」を眺めるような客観視
最近、平日のカフェで窓の外を眺めていても、誰かと自分を比べるようなベクトル(視線)は消えてしまいました。

急ぎ足で駅へ向かう人、電話をしながら険しい顔で歩くビジネスマン。
今の僕にとって、その光景は優越感の対象ではなく、まるで「美術館に飾られた一枚の絵画」を眺めているような感覚なんです。

「ああ、あの中にはあの中の、一生懸命な人生があるんだな」

ただそれだけを、静かに、客観的に受け止める。自分と他人は違う。そんな当たり前のことを、日々、身体の芯から感じています。

2. 「退屈」という名の、贅沢な探索時間
「そんな平坦な生活、退屈して死んじゃわない?」
たまにそう聞かれます。確かに、数字に追われていたサラリーマン時代に比べれば、今の僕の日常は驚くほど凪(なぎ)の状態です。

でも、どう考えても今の方がいい。
子供の成長の最前線に立ち、妻と笑い合う時間が増えた。この「命をすり減らさない」暮らしの方が、僕にとっては圧倒的に有意義です。

世の中で「これこそが自分のやりがいだ!」と胸を張って言える人なんて、ほんの一握りでしょう。多くの人は、それが見つからないまま、あるいは探す余裕すらなく一生を終えていく。
そう考えれば、この「やりがいを探しながら生きるための余白」を与えられている自分は、なんと豊かで満たされた探索者なのだろうと思うのです。

3. 「余白」を身近な人に還元する技術
最近、僕はこう考えるようになりました。
この心の中に生まれた「余裕」を、家族や身近な人に少しでも分けてあげられないか、と。

お金を渡したり、高価な物を買い与えたりするのは簡単です。でも、それでは本当の意味での「余裕」は伝わらない。受け取る側にも納得感が必要です。人に何かを渡すのには、実は高度な技術がいるんですよね。

だからこそ、まずは言葉がけや、接し方、日々の何気ない振る舞い。
そこから、僕の持っている「安心感」を還元していきたい。

4. 「与える側」が、一番満たされるという真理
そして、一番の驚きはここでした。
誰かに安心や余裕を与えようと動いている時、満たされているのは相手以上に「自分自身」だったんです。

「与えることで、自分も満たされる」

この幸福のループに気づけたことが、サイドFIRE2年目にして得た最大の収穫かもしれません。
美術館のような静かな心で世界を眺め、手元にある余白を、そっと誰かのために使う。

そんな「地味で豊かな日常」を、僕はこれからも大切に育てていこうと思います。

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