# 「一対一で、ただ聴く」──いまの時間を大事にするメモ

FIRE

**読了時間:3〜4分**

二人きょうだいのわが家。みんなでわいわい話す時間はそれなりにあるのに、ふと気づくと「一人ひとり」と向き合う時間は、ほとんど作れていませんでした。

サイドFIREとはいえ、子どもが帰ってくると流れは早回しです。宿題の見守り→晩ごはんの支度→風呂の準備→キッチン片づけ。妻が帰宅したら4人でごはん、すませばすぐお風呂、寝る前の本かゲームを少し、そして20:30に就寝。
大人も子どもも、帰宅から寝るまでのあいだは、まるで乗り換え案内のように時間がつまっています。

## 「二人で話したい」と言われた夜
ある日、娘が「二人で話したい」と言ってくれました。多感な年ごろ。母に…かと思いきや、父のわたしにも。うれしいひと言でした。

ところが、その時間を取ろうとした矢先、もう一人の子が「なんで自分は入れないの」と不満顔。そこから一気にヒートアップして、珍しく大げんかに。仲裁に入ったものの、私もつられて感情が揺れました。

そのあと娘と静かに話すと、内容自体は驚くほど特別ではありません。学校でのこと、好きなこと、今の気持ち。たぶん本当に必要だったのは、**「二人きりで話す」という枠そのもの**だったのだと思います。
誰にも取られない、数十分の静かな帯域。そこに座れただけで、彼女は少し落ち着いたようでした。

## 解決しない、ただ受け止める
「どうやって一対一の時間を確保するか」「月に何回が理想か」。やり方を考え始めれば、方法論はいくらでも出てきます。けれど今は、あえて**解決しない**ことにしました。

– きれいなスケジュールに落とし込まず、
– 完璧なルールを決めず、
– うまくいかない日も、そのままにしておく。

その上で、「いま、ここで話したい」というサインが出たら、**できるだけその場で座る**。それだけを、ささやかな合図として持っておく。
会話の中身より、**時間を渡せたか**を大切に。すれ違った夜も、過度に反省せず「今日は間に合わなかったね」とだけ言って、また明日を迎える。そんな距離感が、今のわが家には合っている気がします。

## いまの実感を言葉にしておく
今回の出来事で、いくつか実感が残りました。

– きょうだいがいる家では、「みんなで」と「一対一」は**別の栄養**。
– 争いの直後の会話は、**内容より温度**。正しさより、落ち着ける空気。
– 予定化しなくても、**必要なときに座れる親**でいられるかどうかが、大切。

どれも当たり前のことかもしれません。ただ、当たり前はすぐに手からこぼれます。だからメモとして、ここに置いておきます。

## 十年、二十年先の願い
私自身は10歳前後から、父と定期的にじっくり話す時間は多くありませんでした。だからこそ、**日常の断片で少しずつ交わした言葉**が、不思議と残っています。台所の隅、車の中、夜の廊下。場所はどこでもよかった。

いま私にできるのは、**その「どこでもよかった時間」を、少しだけ増やすこと**。
方法論は急がず、うまくいかない日も責めず、目の前の「話したい」にできる限り応える。
それが十年、二十年先の関係にどんな形で残るのかは、今はわかりません。わからないままでも、きっと十分です。

> 解決しない。整えすぎない。
> そのかわり、いまの時間を、まるごと受け止める。
> 次の約束はしなくていい。ただ、ここに座る。
> それを、今日のところの答えにします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました